鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)v.イエス・キリスト経 - ニコニコ如来説法と経典

2018年9月13日暁前4時05分でございます。戦国時代の鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)のことをお話しいたしたく存じます。

鳥居強右衛門(1540~1575年、天正3年35歳で死す)は、三河の奥平家に仕えた身分の低い侍でありましたが、真の勇者であります。

奥平家の長男(のちの名は奥平信昌)は、三河国東端の長篠城を託され、500人の城兵で守備していましたが、武田勝頼の15,000人の軍に囲まれたのでございます。食料庫も焼かれ、あと数日で落城という時、志願して鳥居強右衛門が、援軍を求める使者として、脱出したのでございます。城の下水口から川を潜り、強右衛門は敵中を突破しました。5月14日の夜のことでございます。

強右衛門が岡崎城に到着すると、織田信長徳川家康合わせて38,000人の連合軍が、翌日にも長篠へ救援に向かう手はずとなっておりました。強右衛門は喜んで、味方に一刻も早く知らせようと走り戻りましたが、包囲軍に捕まりました。

勝頼は、強右衛門に「援軍は来ない。諦めて城を明け渡し、武田方に降伏せよ」と言わせることにして、長篠城の前に強右衛門を引き立てて行ったのでございます。ところが、強右衛門は、大声で「援軍はすぐ来るから、頑張れ!」と味方に知らせたのでございます。

勝頼は怒って、強右衛門を逆さ磔(はりつけ)にして殺しました。しかし長篠城兵は勇み立ち、あと2日を持ちこたえ、ついに織田・徳川連合軍に救出されたのでございます。

「強右衛門が磔にされるまでのわずかな間、強右衛門の監視をしているうちに親しくなったという武田家の家臣・落合左平次道久が、強右衛門の忠義心に感動し、磔にされている強右衛門の姿を絵に残して、これを旗指物として使ったという。これを描き直した物が現存している。(「落合左平次道次背旗 鳥居強右衛門勝高逆磔之図」東京大学史料編纂所蔵)」(ウィキペディアで見られるこの旗指物は、ふんどし一丁で二段十字架に逆さ磔になっている強右衛門を描いております。)敵の心さえ打った強右衛門の義勇でございました。

「人が自分の生命を自分の友人たちのために捧げる、これより大きな愛は誰も持っていない。」とイエス・キリストはおっしゃったのでございます(田川建三訳『新約聖書・本文の訳』「ヨハネ福音書」第15章13節)。

鳥居強右衛門は、長篠城にこもっている友人たちのために自分の生命を捧げたのでございます。

日本の兵士たちは、近代の戦争において、日本国民のために生命を捧げました。その義勇心、その愛は鳥居強右衛門と同じでありまして、ひしひしと私たちを打つのでございます。イエス・キリストも認められるでありましょう。

エスは、ユダヤ人、ガリラヤの人であります。しかるに、イエスの愛は、その国民の範囲を超えております。全人類がイエスの友人として、イエス・キリストの磔(十字架)によって救われ得るのでございます。

「もしもあなた方が私の命じることをなすならば、あなた方は私の友人である」とイエスは仰せになりました(「ヨハネ福音書同章14節)。その友人のためにイエスは生命を捧げられたのでございます。

イエス・キリストの十字架から早、2,000年近くが経ちました。しかし、約443年前の鳥居強右衛門の十字架と同じく、その愛は、ひしひしと迫って来るのでございます。

あなた様のためにイエス・キリストは、生命を捧げられたのでございます。

鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)v.イエス・キリスト経〉

生命(いのち)を捨てて友救う。

これ日本の戦国の

世にもありけり。強右衛門(すねえもん)。

「救いは来るぞ!」大音(だいおん)に

呼ばわり、味方力づけ、

身は磔に(はりつけに)なりにけり。

ああイエス様、大音に

「救いは来るぞ!」と呼び給う

救いは天の神よりぞ。

神の子イエス・キリスト

言葉を信じたまえかし。

生命を捨てて言いませる。

南無ニコニコ如来ご法力

倍増!倍増!世に信を

広めたいもの! 信じませ!

2018年9月13日朝5時53分〈「ニコニコ如来説法と経典」ブログ記事第247「鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)v.イエス・キリスト経」〉